ピアニストの歴史
ピアニストの歴史




以前、ピアノを弾いていた、あるいは、現在もピアノを弾いている方の中には、ピアノ曲か 
らクラシック音楽鑑賞に入る方が多いのではないでしょうか。              
クラシック音楽で使われる楽器、弦楽器や管楽器などに比べて、ピアノ経験者は断然に多い 
と思われます。お好みのピアニストができれば、鑑賞もより楽しくなります。       
「名ピアニスト列伝」でもご紹介していますが、ここでは、ピアニストの歴史をご紹介した 
いと思います。                                   
また、紹介曲一覧で、★の数で初級者の方向け〜上級者の方向けの目安を表示しています。 
クラシック鑑賞初心者の方は、★の数が少ない作品から鑑賞なさるのをお薦めします。   
               

 *「名演奏家列伝」「名作曲家列伝」のコーナーでご紹介している演奏家や作曲家は名前に
  下線がありますので、クリックすると詳しいご紹介へとジャンプします。      




 


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  クリックすると、各インデックスへとジャンプします。    T.ピアノの歴史    U.往年の巨匠ピアニスト達    V.ステレオ録音隆盛の時代      A.ショパンを弾くピアニスト達   B.ベートーヴェンを弾くピアニスト達   C.モーツァルトを弾くピアニスト達      D.バッハを弾くピアニスト達  E.ロシア系ピアニスト達  F.フランス系ピアニスト達  G.日本人ピアニスト達    W.天才と呼ばれたピアニスト達    X.21世紀の名ピアニスト達
T.ピアノの歴史 「ピアノ」の名は、17〜18世紀の楽器製作家、バルトロメオ・クリストフォリが製作した、 ピアノの原型であるクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(音の強弱をもつチェ  ンバロです)に由来し、これが短縮されたものとされています。ピアノの歴史は、400年位  ということになります。                                 歴史的には「ピアノフォルテ」(pianoforte)や「フォルテピアノ」(fortepiano)と呼ばれ、 現代でも古楽器演奏で使われる略称としては “fp” という表記が用いられています。     現代では、イタリア語、英語、フランス語では “piano” と呼ばれています(イタリア、イ  ギリスでは “pianoforte” も使用されています)。ドイツ語では「ハンマークラヴィーア」  (“Hammerklavier”)がピアノを意味し、より一般的には “Klavier”(鍵盤の意味です)  と呼びます。                                      20世紀後半以降、あえて「フォルテピアノ」「ハンマークラヴィーア」「ハンマーフリュー  ゲル」などと呼ぶ場合は古楽器、すなわち現代ピアノの標準的な構造が確立される以前の構造  を持つ楽器を指す場合が主で、古楽器演奏に用いられています。これに対して、19世紀半ば  以降のピアノを区別する必要がある場合には「モダンピアノ」などと呼ばれます。        日本では、戦前の文献では「ピヤノ」と書かれたものが見受けられます。                           U.往年の巨匠ピアニスト達  「往年」というのは、まだ録音ができなかった19世紀後半から、第二次世界大戦前後、す   なわち録音が可能になった時代までを指します。                      19世紀には、ベートーヴェンリストショパンなど、多くの作曲家が自作自演を行って   いたのですが、こうした流れを汲むのは1873年生まれのラフマニノフくらいまでで、そ   の後に登場する作曲家達は自ら演奏することをしなくなりました。20世紀には、専業作曲   家と専業ピアニストの区分けが出来上がったわけです。                   この頃活躍したピアニストには、パハマンコルトー、ロン、シュナーベル、バックハウス、  フィッシャー、ケンプギーゼキングルービンシュタイン、ナット、ゼルキン、ホロヴィ   ッツリヒテルなどがいます。                              これらのピアニスト達は、SPレコードの発明により、演奏を聴くことが世界中で可能にな   った最初のピアニスト達です。主にイギリスのEMIにピアノ演奏を録音しました。      ユダヤ系のピアニスト達は、ナチスの迫害から逃れてアメリカに渡り、ホロヴィッツはRC   Aやコロンビア(現SONY)、ルービンシュタインはRCAと契約して、多くの名録音を   残しました。二人のピアニストは共に、同じくアメリカに渡った大指揮者のトスカニーニ、   ワルターと共演し、ピアノ協奏曲でも名演を聴かせました。                 やがてSPレコードがLPレコード(1947年〜)に変わると、ピアノ協奏曲など、長い   録音時間を要し、SPレコード時代には数十枚に分けてプレスされていた作品も、LPレコ   ードによってまとめて聴けるという恩恵を受けました。                   なお、指揮者のムラヴィンスキー、ピアニストのギレリス、リヒテルなど、旧ソ連出身の音   楽家達は、拘束によって国外に出ることを許されませんでした。クラシック音楽と政治は、   切っても切れない関係にありました。                           さて、ここでは、パハマン、コルトー、ロン、バックハウス、ケンプ、ギーゼキング、ルー   ビンシュタイン、ホロヴィッツ、リヒテルをご紹介します。                 ・パハマン(1848〜1933) ウクライナ   パハマンが生まれた頃には、ショパンシューマンがまだ生きていました。       主にショパン弾きのピアニストで、19世紀後半から20世紀初頭に活躍した大ピ    アニストの一人です。録音も残っていますが、相当音質は悪いです。          演奏中のつぶやきでも知られる芸術肌のピアニストです。              ・コルトー(1877〜1962) スイス   「ピアノの詩人」と呼ばれ、卓越した表現力を持ち、かつ教鞭をとり有望な若手を    育てるなど、ピアニスト界に多大な功績を残した「レジェンド」です。晩年はテク    ニックの衰えが激しく、名盤と言えるものは音質の悪いモノーラル録音であるのが    何とも残念です。                                 V−Aでもご紹介します。                            ・ロン(1874〜1966) フランス    ロンはフランスの女性ピアニストで、ラヴェルドビュッシーなどをレパートリー    としていました。                                 出演料をバッグに入れて、ピアノの下に置きながら演奏したり、納得いかないから    といって、深夜0時まで、同じ曲を20回も弾きなおしたりと、古き佳き時代のエ    ピソードが残されています。                           ・バックハウス(1884〜1969) ドイツ⇒スイス    19世紀に生まれながらも、ステレオ時代まで録音が残っていますので、デッカと    いう音質の良いレーベルにも恵まれ、我々は多くの名演を堪能することが出来ます。   いかにも「巨匠」風の厳格な、芸術肌のスタイルのピアニストでした。         ベートーヴェンの大家と呼ばれていましたので、V−Bでもご紹介します。                          ・ケンプ(1895〜1991) ドイツ   バックハウスと並び、ベートーヴェンの大家として知られています。厳格なバック    ハウスに対して、「サービス心ではケンプ」と呼ばれ、聴衆にはケンプの方が人気    がありました。V−Bでもご紹介します。                     ・ギーゼキング(1895〜1966) ドイツ   世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」という特技をトレ    ードマークにし、初見(初めて見た楽譜通りに弾くこと)の達人と呼ばれた天才肌    のピアニストです。残念ながら、今日、名盤とされているものはモノーラル録音で、   ギーゼキングの演奏を良い音質で聴くのは困難な状況にあります。          ・ルービンシュタイン(1887〜1982) ポーランド   若い頃は道楽、快楽の限りを尽くしたと言われるルービンシュタインですが、47    歳の時に突然目覚め、真摯にピアノに打ち込むようになりました。それからは、引    退する85歳になるまで、日々音楽は深みを増し、世界的な巨匠となりました。     スケールの大きさでは他の追随を許さない程の大ピアニストです。           次のV−Aでもご紹介します。                        ・ホロヴィッツ(1904〜1989) ウクライナ   6歳にして「ピアニストとして完成された」と言われたホロヴィッツは、当時、超    絶的なテクニックを持った、20世紀を代表する大ピアニストです。天才肌だった    だけに、晩年はテクニックの衰えが激しく、現在ステレオ録音で残されている名盤    は、みな全盛期を過ぎた録音ばかりなのが残念です。Wでもご紹介します。      ・リヒテル(1915〜1997) ロシア   旧ソ連に生まれたリヒテルは、「鉄のカーテン」と呼ばれた政治上の「壁」に拘束    され、指揮者のムラヴィンスキーと同じく、西欧では神格化されていました。      ようやく西欧に進出したのが1960年で、それ以来、世界的大ピアニストとなり    ました。ステレオ録音の多くの名盤を残しましたので、我々は良好な音質でリヒテ    ルの演奏を堪能できます。V−Eでもご紹介します。                                          メニューへ戻る
V.ステレオ録音隆盛の時代 A.ショパンを弾くピアニスト達  ピアノを長い期間習ったことのある方、あるいは音大出身の方は、ピアノ曲=ショパンとい   うイメージがあるのではないでしょうか。そうでない、初心者の方にもそういうイメージが   あるかもしれません。                                  確かに、有名なピアノ曲はショパン作曲であることが多いですし、ショパン作曲の作品は、   夜想曲練習曲などのピアノ・ソナタは元より、ピアノ協奏曲や、チェロ・ソナタと、すべ   てと言えるほど、ピアノが関係しています。                        ですので、ほぼ全員と言っても過言ではないくらい、プロのピアニストはショパンの作品を   録音しているでしょう。やはり、「ピアノ作品=ショパン」はあながち間違いではありませ   んし、最も権威があるとされてきた国際ピアノコンクールは、「ショパン・コンクール」で   す。                                          あまたのショパン弾きのピアニストの中でも、ショパンを主なレパートリーとし、とりわけ   ショパンの作品に名演、名盤を残しているピアニスト達をここでご紹介します。        ・コルトー(1877〜1962) スイス   「ピアノの詩人」と呼ばれたコルトーは、ショパンを主なレパートリーとしていま  した。19世紀のロマンティシズム、芸術主義を継承していたコルトーは、ショパ    ンの24曲の「前奏曲集」にすべて副題をつけるなど、後世に計り知れない影響を    与えました。                                  ・ルービンシュタイン(1887〜1982) ポーランド   ショパンはポーランド出身で、ルービンシュタインも同様です。それが理由なのか    は不明ですが、ルービンシュタインはショパンの名盤を数多く残しています。いず    れも、若い頃の道楽尽くしの自身から脱皮した、晩年の録音で、ステレオ録音です    ので、我々は音質を気にすることなく、20世紀の大巨匠、ルービンシュタインの    ショパンを耳にすることができます。                       ・ポリーニ(1942〜) イタリア   1960年にダントツで「ショパン・コンクール」に優勝した時は、上記のルービ    ンシュタイン(審査委員長)をして、「私たち審査委員の中で、彼ほどうまく弾く    ことができるピアニストがいるだろうか」と言わしめ、審査委員は満場一致でポリ    ーニを推しました。                                そして数年の研磨を経て録音したショパンの「練習曲集」は、あまりのテクニック    の完璧さに、歴史的事件とも言われています。Wでもご紹介します。         ・ツィメルマン(1956〜) ポーランド   ツィメルマンはツィマーマンとも表記されます。詳しくは「名ピアニスト列伝」を    ご覧頂きたいのですが、ショパンと同じポーランド出身で、「ショパン・コンクー    ル」の優勝者です。「ナルシスト」と呼ばれる演奏スタイルは、甘く美しいショパ    ンの旋律の魅力を増大させておりまして、本質的な相性の良さを感じさせます。    ・ブーニン(1966〜) ロシア   19歳で「ショパン・コンクール」に優勝した時には、日本でブーニン・ブームが    起きました。実際、レパートリーは広いのですが、サービス精神旺盛なピアニスト    で、かつ親日派であるため、ショパンの有名曲を弾いてくれることが多いようです。                            メニューへ戻る
B.ベートーヴェンを弾くピアニスト達  バッハ「平均律クラヴィーア曲集」を「旧約聖書」とすると、ベートーヴェンの「ピアノ   ・ソナタ」は「新約聖書」に例えられる、と評されていますし、ピアニストにとっては、ベ   ートーヴェンのピアノ協奏曲、あるいはピアノ・ソナタを録音することは、一つの壁である   と言われています。                                   ベートーヴェンの作品と言えば交響曲のイメージが強いですが、交響曲は9作なのに対し、   ピアノ・ソナタは32作あり、ピアノ協奏曲は5作あります。交響曲の作曲を止めてからも   ピアノ・ソナタの作曲は続けまして、ベートーヴェンのこだわりを感じさせます。特に後期   のピアノ・ソナタ第29番〜第32番は、内容、規模共に交響曲に匹敵するものがあり、演    奏者には精神的な深みも要求されています。                        また、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」は、ピアノ協奏曲の「王様」と呼ばれておりますし、ピ   アノ・ソナタの「悲愴」「月光」「熱情」、はクラシックに詳しくない方でもご存じな   ほどポピュラーな作品群で、ベートーヴェンの「3大ピアノ・ソナタ」と呼ばれています。   なお、「ピアノ協奏曲全集」、「ピアノ・ソナタ全集」を完成させるのはピアニストにとっ   ては夢、大仕事であるようで、「ピアノ・ソナタ全集」は、SPレコード時代にシュナーベ   ル、ナットが完成させていますが、現在、人類の至宝とも称されているのは、バックハウス、  ケンプの全集です。そして、アラウ、グルダブレンデルなども全集を完成させています。   一方、「ピアノ協奏曲全集」は、バックハウス、ブレンデル、内田光子が完成させています。  ここでは、ベートーヴェンの大家と呼ばれたバックハウスとケンプ、ギレリス、そしてグル   ダ、ブレンデル、リュビモフをご紹介します。                         ・バックハウス(1884〜1969) ドイツ⇒スイス    19世紀生まれで、「ベートーヴェンの大家」と呼ばれました。非常に厳格な、芸    術家肌の大巨匠で、大衆に媚びることを決してしませんでした。タッチに華やかさ    や色彩感の無い、無骨なまでにスケールの大きなベートーヴェンを演奏し、ドイツ    の精神主義の継承者とも言われています。1950年代の古い録音でも、音質には    定評のあるデッカの技術に恵まれ、現在でもベートーヴェンの録音は高い評価を得    ています。                                                       ・ケンプ(1895〜1991) ドイツ   バックハウスと並び、「ベートーヴェンの大家」と呼ばれていました。サービス心    旺盛なピアニストで、厳格なバックハウスと対比されました。             ベートーヴェンにおいては、何と言っても「ピアノ・ソナタ全集」を完成させたこ    とは後のピアニストの模範とされ、ベートーヴェンでは「ヴァイオリン・ソナタ」    「ピアノ三重奏曲第7番『大公』」「チェロ・ソナタ」などで伴奏としても名演    を聴かせ、後世に大きな影響を与えました。                    ・ギレリス(1916〜1985) ロシア   「ピアノ・ソナタ全集」を完成させることなく亡くなったギレリスですが、「3大    ピアノ・ソナタ」を始め、副題のつく有名なベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ」    の録音が残っているのは不幸中の幸いと言えましょうか。「ロシア学派」であるギ    レリスの強靭な打鍵は重厚なベートーヴェンの作品と相性が良く、多くの名盤を残    しました。V−Eでもご紹介します。                         ・グルダ(1930〜2000) オーストリア   グルダはモーツァルト弾きとしても有名ですので、次のV−Cでもご紹介します。    ベートーヴェンにおいては、「ピアノ協奏曲」でも「ピアノ・ソナタ」でも名盤を    残しています。ギレリスやリヒテルらの「ロシア学派」のように、打鍵が強いタイ    プではなく、モーツァルトの演奏に見られる繊細さと切れ味を変え備えたピアニス    トです。                                    ・ブレンデル(1931〜) クロアチア⇒オーストリア   とりたてて派手さがないピアニストですので、日本ではさほど人気はありませんが、   本場ヨーロッパではポリーニに匹敵するくらいの評価を得ています。          ベートーヴェン、シューベルトなど、ドイツ・オーストリア系の作曲家を主なレパ    ートリーとしました。                               高齢のため、ピアニスト活動は2008年をもって引退しました。             ・リュビモフ(1944〜) ロシア   フォルテピアノ、チェンバロという古楽器奏者です。21世紀になってベートーヴ    ェンに高評価の名盤を残している、晩成型のピアニストです。高齢ながら、現在も    精力的に活動しています。Xでもご紹介します。                                           メニューへ戻る C.モーツァルトを弾くピアニスト達  モーツァルトの音楽と言われて、ピアノ作品というイメージはあるでしょうか。実際、管弦   楽曲などのイメージの方が強いかもしれませんが、モーツァルトのあまたの作品の中で、特   に「ピアノ協奏曲」は重要な位置を占めます。                       天才モーツァルトのピアノ作品には、過度に効果を狙った派手な音符は一つもないと言われ   ています。よって、パハマンコルトーなど、19世紀のロマンティシズムを継承したピア   ニストには向かないとも言われています。                         戦後に活躍した「モーツァルト弾き」として名高いのは、ヘブラー、クラウス、ハスキル、   グルダピリス、内田光子、バレンボイムらがいます。この中で、クラウス、ハスキル、ピ   リス、内田光子は女性です。それだけ、繊細さ、柔軟さを求められるということなのでしょ   うか。                                         クラウスやハスキルは、世界的ヴァイオリニストで、同じく「モーツァルト弾き」とされた   グリュミオーとの、ピリスは現役屈指の「モーツァルト弾き」であるデュメイとのデュオで   録音した「ヴァイオリン・ソナタ」が高い評価を得ています。                ここでは、クラウス、ハスキル、グルダ、ピリス、内田光子、バレンボイムをご紹介します。  ・クラウス(1908〜1986) ハンガリー   ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどのドイツ・オーストリア音楽を得意    としましたが、とりわけモーツァルトは十八番でした。                女流モーツァルト弾きとしては先駆者的存在ですが、残念ながら録音には恵まれて    いません。                                    なお、親日家としても知られ、チャーミングの粋とも言える演奏スタイルとその美    貌もあいまって、日本では人気がありました。                   ・ハスキル(1995〜1960) ハンガリー   詳しくは「名ピアニスト列伝」の項で。    生涯結婚を選ばずピアニストとして音楽を追求する道を選んだ女流ピアニストです。   何と言っても、グリュミオーとのデュオによる、モーツァルトの「ヴァイオリン・    ソナタ」の名盤で知られています。                        ・グルダ(1930〜2000) オーストリア   ベートーヴェンの作品にも名盤を残しましたので、V−Bでもご紹介していますが、   グルダと言ったら、やはりモーツァルトでしょう。「ピアノ協奏曲」では第一級の    名盤がズラリと揃っています。まるで作品を可愛がるかのような繊細かつチャーミ    ングな演奏は、まさにモーツァルトの粋と言えます。                  ・ピリス(1944〜) ポルトガル   モーツァルト以外の作曲家でも名盤を残していますが、グラモフォンと契約して録    音した「ピアノ・ソナタ全集」で、一躍世界的な名声を得ました。           それだけでなく、デュメイとデュオを組み録音した、モーツァルトの「ヴァイオリ    ン・ソナタ」では、「現代最高のモーツァルトコンビ」という評価を不動のものと    しました。                                   ・内田光子(1948〜) 日本   クララ・ハスキル・ピアノコンクール、リーズ国際コンクール、レーベントリット    ・国際コンクールで次々と入賞し、国際的な名声を得ました。             1990年に完成した、モーツァルトの「ピアノ協奏曲全集」は日本国内でもベス    トセラーになり、世界的な「モーツァルト弾き」として認められました。        表現は、陰影、寂寥感があり、それがモーツァルトの核心との評価を得ています。    V−Gでもご紹介します。                            ・バレンボイム(1942〜) アルゼンチン⇒イスラエル   クラシック演奏家には、「天才」という言葉がよく使われますが、バレンボイムは    天才中の天才です。何と7歳にして、ベートーヴェン作曲のピアノ作品をすべて弾    けたというのですから、異常なまでの天才児でした。                 モーツァルトの作品においては、「ピアノ協奏曲」に名盤を残しています。       元々自身の希望があったこともあり、現在は指揮者として活躍しています。       Wでもご紹介しています。                                                           メニューへ戻る
D.バッハを弾くピアニスト達  バッハの鍵盤楽器演奏は、昨今、大きな変革期をむかえています。バロック時代に活躍した   バッハの時代の鍵盤楽器は、クラヴィーア曲と呼ばれ、現在のピアノではなく、古楽器と呼   ばれるオルガンやチェンバロでした。現在の、学問的な成果とも言える古楽器演奏ブームに   よって、バッハの鍵盤楽器の作品の演奏は、古楽器での演奏が当たり前となっています。    20世紀中は、現代楽器であるピアノでの演奏も名盤とされてきましたが、今日ではほとん   ど評価されない時代となりました。                            ここでは、現代楽器、古楽器という枠にとらわれることなく、「バッハの鍵盤楽曲」の名手   として有名な、グールド、シフ、、コープマン、ペライアについてご紹介します。       ・グールド(1932〜1982) カナダ   グールドはチェンバロなどの古楽器は弾かず、ひたすら現代ピアノでバッハを弾き    ました。その新鮮な音楽解釈で「バッハの大家」と呼ばれ、昨今の古楽器ブームに    なる前は、ほぼすべてのバッハの録音が最高級の評価を得ました。           1964年を持ち、「聴衆の拍手や咳払いは不要」というポリシーの元、一切実演    はせず、録音のみに専念するようになりました。                  ・シフ(1953〜) ハンガリー   バッハ、モーツァルトシューベルトといったドイツ・オーストリア系の作品を得    意としています。ベートーヴェンにも名盤を残していますが、とりわけバッハの演    奏は評価が高く、グールド以来の最高のバッハ解釈者と称されました。         現代ピアノが主体ですが、古楽器のフォルテピアノも弾く「二刀流」です。      ・コープマン(1944〜) オランダ   現代ピアノは全く弾かず、オルガン、チェンバロの奏者であり、かつ指揮者でもあ    り、「古楽器ブーム」の草分け的な存在の一人です。楽器奏者としてはバッハに、    指揮者としてはモーツァルトにも名盤があります。                 ・ペライア(1947〜) アメリカ   ペライアは、四重奏団などと、主に室内楽を中心に演奏活動を始めました。197    2年、リーズ国際ピアノ・コンクールで優勝したのをきっかけに、ソロ演奏家とし    ても評価されるようになりました。古楽器は扱わない、完全な現代ピアノ奏者です。                              メニューへ戻る
E.ロシア系ピアニスト達  ベートーヴェンを中心とするドイツ・オーストリア系は「質実剛健」、ドビュッシーや、   ラヴェルなどフランス音楽の「軽妙洒脱」さに対して、ロシア・スラヴ音楽は「濃厚なロ   マンティシズム」の伝統があると言われています。                    また、「ロシア学派」という言葉がありまして、ロシア出身のピアニストは腕の筋力の強   さを磨きあげ、打鍵の強さで知られています。                      さらに、ロシアのピアニスト達は、第二次大戦後の旧ソ連の影響を大きく受けました。    西欧諸国に対して、「こんなピアニストがいるんだ」という、自国の文化のお披露目に利   用されただけでなく、基本的には、クラシック音楽の本場、西欧祖国と関係を持つことを   禁止され、速い外出を望む演奏家は西欧に亡命した時代でした。              そんな、政治的な影響を受けながらも世界的な名声を受けていった、ギレリスリヒテル、  アシュケナージの3人をご紹介します。                         ・ギレリス(1916〜1985) ロシア   「鋼鉄の腕を持つ」と称され、リヒテルよりもいち早く西欧に進出し、世界的な    ピアニストとなりました。とりわけベートーヴェンでは、バックハウス以上に、    録音のすべてが第一級の評価を得ています。V−Bでもご紹介しています。     ・リヒテル(1915〜1997) ロシア   旧ソ連に生まれたリヒテルは、西欧諸国にとって、「鉄のカーテン」と呼ばれた    政治上の「壁」の向こう側にいましたので、「鉄のカーテンの向こう側に凄いピ    アニストがいるらしい」と神格化されました。ようやく西欧に進出したのが19    60年でしたが、幅広いレパートリーもあいまって、以降は世界的ピアニストと    して活躍しました。Uでもご紹介しています。                  ・アシュケナージ(1937〜) ロシア   現在は指揮者業の方が主体ですが、2004年にNHK交響楽団の音楽監督に就    き、知名度では屈指の存在とも言えるアシュケナージも、元は世界でも第一級の    ピアニストでした。ショパンの他に、特にロシアものである、チャイコフスキー、   プロコフィエフの演奏を得意としました。                                             メニューへ戻る
F.フランス系ピアニスト達    19世紀半ばのフランスのパリは音楽家の他、詩人や文学者、画家などのアーティストが集   う「芸術の都」でした。中でも、上流階級の社交場である「サロン」を中心に展開される、   「軽妙洒脱」なピアノ音楽は(「エスプリ」と呼ばれます)、薫り高きフランスの文化の象   徴でした。                                       フランスを代表する音楽家、例えばリストドビュッシーラヴェル、サティ、ベルリオー   ズ、ビゼー、サン=サーンスといった面々を輩出したのは、パリ音楽院でした。        19世紀半ば、音楽の中心はウィーンからパリへと移りました。               Uでご紹介している往年の名ピアニスト、コルトーやロンも、演奏活動のかたわら、パリ音   楽院で教鞭をとりました。                                この、パリ音楽院出身のピアニストといえば、フランソワ、アントルモン、ハイドシェック、  チッコリーニ、コラール、ベロフ、ロジェ、アース、カツァリス、ルイサダ、ティボーデ、   グリモーらがいます。これらのピアニストの中で、フランソワ、チッコリーニ、ハイドシェ   ック、ロジェについてご紹介します。                             ・フランソワ(1942〜1970) ドイツ⇒フランス   5歳でピアノを始めたフランソワは天才と呼ばれ、コルトーに見いだされて、当時     屈指のフランス系ピアニストとなりました。                      ショパンドビュッシーラヴェルを主体とし、特にショパンには第一級の名盤が     ズラリと揃っています。                                 ・チッコリーニ(1925〜2015) イタリア⇒フランス   イタリア出身のピアニストですが、フランス国籍を取得し、パリ音楽院で教鞭をとり、   フランス音楽を中心に演奏活動を行いましたので、フランス人と思われていたところ    があります。とりわけサティの解釈では第一人者との評価を得ました。            ・ハイドシェック(1936〜) フランス   8歳で、コルトーが設立した「エコール・ノルマル音楽院」に入学。コルトーの代表    的な門下生でした。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは高い評価を受け、全集も録音    したのですが、1981年にリヨン音楽院の教授についてからはめっきりと演奏活動    を行わず、「幻のピアニスト」と呼ばれています。                  ・ロジェ(1951〜) フランス   現役の中では屈指の「フレンチ・ピアニズム」の体現者と言われています。ロジェは    ソロ・ピアノだけでなく、サン=サーンスらの「室内楽」の演奏も積極的に行い、パ    リ音楽院卒業の際は、ピアノと室内楽で一等賞を獲得しました。室内楽では特に、フ    ランスの伝統である「エスプリ」の香りが漂う、洒脱な世界を演出しています。                                       メニューへ戻る
G.日本人ピアニスト達  日本に初めて国産ピアノが誕生したのは1900年(明治33年)で、当時の日本楽器(現   ヤマハ)製のピアノでした。2年後には、グランドピアノも完成、ヨーロッパではラフマニ   ノフらが名ピアニストの名を欲しいままにし、コルトーらが演奏活動をスタートした時期で   した。日本政府は1879年(明治12年)に音楽取調掛(後の東京音楽学校 現 東京芸   術大学)を設立し、音楽教員の育成を目的としましたが、この学校から、幸田延、久野久子   らが卒業し、彼女らが日本のピアニストの草分けとされています。              昭和時代に入ると、パリ音楽院で学んだ原智恵子や野辺地勝久を始め、井口基成、安川加寿   子、田中希代子など、国際的な舞台で学んだ日本人ピアニストが登場します。         その流れを受けて、戦後には、安川加寿子らは東京芸術大学音楽学部の教授に、井口基成ら   は東京芸術大学音楽学部の教授を経て、桐朋学園女子高校(後の桐朋学園大学)の中に音楽   科を設立し、この2つがピアニストを育成する教育機関へと発展していきます。        東京芸術大学(付属高校も含みます)は、園田高弘、松浦豊明、舘野泉、フジ子・ヘミング、  高橋アキ、海老彰子、小山実稚恵、横山幸雄、江口玲、田部京子といったピアニストを生み、  一方で桐朋学園大学(付属高校、短大も含みます)は、小澤征爾という世界的指揮者を始め、  ピアニストでも高橋悠治、中村紘子、野島稔、岡田博美、清水和音、仲道郁代などを輩出し   ています。                                       また、ウィーンで学んだ内田光子(V−Cでご紹介しています)のように、国内の教育機関   を経験していないピアニストも登場し始めました。                     スペインのマドリード音楽院で学んだ熊本マリ、フランスのパリ音楽院で学んだ児玉桃、オ   ーストリアのウィーン国立音楽大学準備科に最年少で合格した梯剛之(かけはしたけし)ら   はその代表的なピアニスト達です。                            日本のピアノメイカーであるヤマハとカワイは、それぞれ幼児からの音楽教室を全国に展開   していまして、その音楽教育システムの中からヤマハはチャイコフスキー国際コンクールで   優勝した、上原彩子を輩出しました。令和時代の日本の楽壇はどうなっていくのでしょうか。  ここでは、中村紘子、内田光子、高橋アキ、フジ子・ヘミングをご紹介します。        ・中村紘子(1944〜) 日本 東京   日本人ピアニスト、と言ったら、まず中村紘子の名が浮かぶ方は多いでしょう。マス    コミへの出場機会が抜群に多いことが関係していると思います。             1965年の「ショパン国際ピアノ・コンクール」で4位入賞(優勝はアルゲリッチ    でした)したり、SONYとは専属アーティスト第1号として契約しました。       それ以降、得意なショパンを始め、チャイコフスキーシューマンベートーヴェン、   シューベルト、ムソルグスキーなど広いレパートリーを持ち、日本でのクラシック普    及に多大な貢献をしました。                             現在は、演奏活動の他、「チャイコフスキー国際コンクール」、「ショパン国際ピア    ノ・コンクール」の審査委員を務めています。                    ・内田光子(V−Cでもご紹介しています)(1948〜) 日本 静岡   内田光子は海外に拠点を置いているため、日本国内での知名度は今一つですが、日本    が世界に誇るべきピアニストです。                          1966年のミュンヘン国際音楽コンクールで2位、1969年のウィーン・ベート    ーヴェン国際コンクール優勝、1970年のショパン国際ピアノ・コンクール」2位    という輝かしい経歴を持ちます。                           1990年に完成した、モーツァルトの「ピアノ協奏曲全集」は日本国内でもベスト    トセラーになり、世界的な「モーツァルト弾き」として認められました。         儚くも美しいモーツァルトが特徴で、現役屈指の「モーツァルト弾き」でもあります    が、ベートーヴェンを最後の大仕事にしたいと語っています。             ・高橋アキ(1944〜) 日本 神奈川   高橋アキは一風変わった演奏活動を続けています。夫と共に「エリック・サティ・連    続演奏会」を開催したり、「エリック・サティ・ピアノ全集」を録音するなど、サテ    ィに光を当てました。更に、1972年には、現代音楽の演奏グループである「サウ    ンド・スペース・アーク」を結成し、約20年演奏活動を続けました。          更には、拠点をアメリカに移し、武満徹、坂本龍一などといった現代音楽を代表する    作曲家達に「ビートルズ・ナンバー」を主題とする作品を委嘱した「ハイパー・ビー    トルズ」シリーズを発表しました。                          これらを考慮しますと、クラシック演奏家というよりも、現代音楽の演奏家と言った    方が適切かもしれません。                             ・フジ子・ヘミング(生年不詳〜) ドイツ   父親はスウェーデン人の画家及び建築家、母親は日本人ピアニストで、5歳の時に帰    国しました。幼い頃から天才少女と呼ばれ、18歳でスウェーデン国籍を失いました    が、東京音楽学校卒業後に東京で開いたリサイタルを聴いたフランソワが絶賛したり、   バーンスタインとウィーンで共演する予定であったことなど、その実力は世界の第一    級の演奏家でも唸るものがありました。                                                    メニューへ戻る
W.天才と呼ばれたピアニスト達  これまでご紹介してきましたように、「天才」と称されたピアニスト達は、10歳に満たな   い頃から、大人顔負けの「神童」ぶりを発揮してきました。そして10歳あたりで、リサイ   タル・デビューを飾った例も珍しくありません。                      共通して言えるのは、天才には「閃き」があるということでしょうか。何が飛び出すか、そ   の時にならないと分からない面があります。                        例えば、20世紀の大巨匠ホロヴィッツの例を挙げますと、「ホロヴィッツともなると、そ   のバケモノぶりは言語道断としかいいようがない。」と語られたというエピソードがありま   すし、6歳にして「ピアニストとして完成された」と言われたという説もあります。6歳と   言えば、日本では小学校一年生になっているかどうかという年齢です。誠に、尋常な話では   ありません。「天才」や「神童」と称されるピアニストは多いですが、ここでは、それを1   つ超えた「天才中の天才」である、ポリーニ、ホロヴィッツ、アルゲリッチリパッティ、   バレンボイムミケランジェリの6人をご紹介します。                     ・ポリーニ(1942〜)(V−Aでもご紹介しています) イタリア   1960年にダントツで「ショパン・コンクール」に優勝した時は、上記のルービ    ンシュタイン(審査委員長、V−Aでご紹介)をして、「私たち審査委員の中で、    彼ほどうまく弾くことができるピアニストがいるだろうか」と言わしめ、審査委員    は満場一致でポリーニを推しました。                        21世紀になってもモーツァルトなどを録音していますが、天才児だったためか、    近年はトレードマークのテクニックに衰えが伺えます。               ・ホロヴィッツ(1904〜1989) ウクライナ   6歳にして「ピアニストとして完成された」と言われたホロヴィッツは、当時、超    絶的なテクニックを持った、20世紀を代表する大ピアニストです。天才肌だった    だけに、晩年はテクニックの衰えが激しく、現在ステレオ録音で残されている名盤    は、みな全盛期を過ぎた録音ばかりなのが残念です。Uでもご紹介します。      ・アルゲリッチ(1941〜) アルゼンチン   グルダミケランジェリに師事し、ブゾーニ国際ピアノ・コンクール、ジュネーヴ    国際コンクール、ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝という輝かしい経歴を持    ち、一方で「自由奔放」「じゃじゃ馬」と評され、あたかもオーケストラと「競演」   するかのような力強いスタイルは、小品よりも、「ピアノ協奏曲」で評価されまし    た。名盤の多さでは稀代のピアニストです。そんな、男勝りのアルゲリッチも、高    齢のため、近年は室内楽での演奏活動を中心にしています。             ・リパッティ(1917〜1950) ルーマニア   詳しくは「名ピアニスト列伝」の項で。                       1934年、ウィーンの国際コンクールでコルトーに才能を見出され、門下生とな    りました。しかし、盛んな録音を開始した後、不治の病にかかり、33歳で亡くな    りました。コルトーが来日した際、「最も有望な若手ピアニストは?」という質問    に、「若手では、リパッティが天才でした。しかし、彼が若くして亡くなった今、    他に誰を挙げていいか分かりませんし、誰について語るべきかも分かりません」と    応えたそうです。大巨匠コルトーをして天才と言わしめたリパッティ。現在ではす    べてモノーラル録音しか遺されていませんが、そのほとんどが名盤として、今なお    第一級の評価を得ています。                                       ・バレンボイム(1942〜) アルゼンチン⇒イスラエル   クラシック演奏家には、「天才」という言葉がよく使われますが、バレンボイムは    天才中の天才です。何と7歳にして、ベートーヴェン作曲のピアノ作品をすべて弾    けたというのですから、異常なまでの天才児でした。                 モーツァルトの作品においては、「ピアノ協奏曲」に名盤を残しています。       元々自身の希望があったこともあり、現在は指揮者として活躍しています。       (V−Cでもご紹介しています)                         ・ミケランジェリ(1920〜1995) イタリア   ミケランジェリはコルトーに「リストの再来」と言わしめたピアニストでした。     徹底的な完璧主義者としても知られています。リサイタルの際には、調律師を何人    も連れていき、完璧な状態で、完璧な演奏であることを最優先にしました。よって、   状態が整わない時には、リサイタルは行わない、という「キャンセル魔」でもあり    ました。アルゲリッチも「キャンセル魔」で知られています。             録音も、少しでも不満のあるものはリリースさせませんでした。知名度の割には録    音が少ないというのも、この「完璧主義者」という性格が原因と言われています。                                  メニューへ戻る
X.21世紀の名ピアニスト達  世界中の音楽学校と、整備されたメソッド(方法)によって、往年では「超絶技巧」と呼ば   れた極上のテクニックも、身につけることが比較的容易となってきました。そして、「超絶   技巧」を持った無名のピアニストが、世界中にあまたいる時代となりました。今日では、い   くら「超絶技巧」を持っていたとしても、よほど強烈なインパクトを備えていなければ、往   年の巨匠ピアニストを超えることは大変難しいこととなっています。             令和時代に、いずれ往年の巨匠ピアニストと肩を並べる程のピアニストは現れるのでしょう   か。ここでは、ブレハッチ、ファジル・サイ、キーシンポゴレリチ、リュビモフ、シュタ   イアーをご紹介します。                                 ・ブレハッチ(1985〜) ポーランド   ブレハッチは、ツィメルマン以来30年ぶりの、ショパンの母国ポーランド出身者    のショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者です。それが理由であるのか、現役の    ピアニストでは屈指の「ショパン弾き」です。初の録音が2007年ですので、ま    だ録音の数自体が少ないのですが、既にショパンに名盤を輩出しています。       まさにこれからが旬のピアニストです。                       「ショパン・コンクール」の際には、「容姿がショパンに似ている」と話題になり    ました。                                    ・ファジル・サイ(1970〜) トルコ   1994年、ライプツィヒで行われた「ヤング・コンサート・アーティスツ・ヨー    ロッパ・オーディション」で優勝し、これを機にニューヨークに拠点を移しました。   自由奔放な演奏スタイルに加え、ジャズ・ピアノに傾倒していることから、「ポス    ト・グルダ」とも呼ばれています。また、作曲業も行っており、「自分で曲を作り、   自作自演をしたい」と語っているスケールの大きな音楽家です。              ・キーシン(1971〜) ロシア   2歳の頃からピアノを弾き、3歳で変奏曲や作曲を始め、10歳でモーツァルトを    弾いてデビューという、天才肌のピアニストです。                  1980年代にはカラヤンと共演、後にニューヨークでのデビューも果たしました。   ショパンシューマンリストブラームスなど、ロマン派の名演が多いです。    ・ポゴレリチ(1958〜) クロアチア   1980年のショパン国際ピアノ・コンクールで予選落ちした際、ポゴレリチをか    っていた世界的ピアニストのアルゲリッチは、不服を理由に審査委員を辞任しまし    た。それだけ評価されていたピアニストです。                    演奏スタイルの魅力的なところは、何といっても天才的な「閃き」です。よって演    奏は楽譜を無視した主観的な演奏になり、時には誰にも真似できないような、変幻    自在の即興のリアリズムを見せます。                        こういったタイプですから、いつ、何が飛び出すか解らないという期待を我々に持    たせます。親日家でもありますので、来日の際にはぜひ実演に接して頂きたいです。  ・リュビモフ(1944〜)(V−Bでもご紹介しています) ロシア   フォルテピアノ、チェンバロ奏者です。西欧の現代音楽を旧ソ連で演奏したことで    国内に拘束されていた際、古楽器演奏に打ち込みました。               モスクワ・バロック四重奏団、モスクワ室内楽アカデミーの創立にも貢献しました。   現在も精力的に活動しています。                           ・シュタイアー(1955〜) ドイツ    従来は、古楽器オーケストラの客演フォルテピアノ奏者でしたが、現在はソリスト    として活躍、多くの名盤を残しています。                      レパートリーはバロック音楽からロマン派まで幅広く、チェンバロ曲、協奏曲、室    内楽曲、そしてリートと呼ばれる歌曲の伴奏においても活躍中です。                                            メニューへ戻る




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