指揮者の歴史
指揮者の歴史




クラシックリスナーの方の中には、今一つクラシックの指揮者の役割がお分かりにならない 
方もいらっしゃるのではないでしょうか。                       
確かに、映像で見る限り、本当にオーケストラが合わせやすいのか?と思われるような指揮 
ぶりの指揮者もいます(w)。                            
実のところ、よほど難しい曲でない限り、個々の技術レベルの高いプロのオーケストラであ 
れば、何度もリハーサルを行なえば、指揮者がいなくてもピタリと音の揃った演奏は決して 
不可能ではないというのが正直なところです。                     
10人〜15人ほどの小規模合奏団では指揮者を置かないところがほとんどで、各パートリ 
ーダーに合わせて、精密なアンサンブルを実現してもいます。              
では、一体指揮者の役割とは何でしょうか?                      
よく言われるたとえに、「指揮者は演奏者、オーケストラは楽器」というものがあります。 
つまり、ある作品をどう表現、演奏するのかを決めるのが指揮者であり、オーケストラは指 
揮者の指示に従うもの、と言えば分かりやすいでしょうか。               
よって、指揮者が関係する演奏では、演奏行為というものは、指揮者の作品解釈に基づく演 
奏表現ということになります。もちろん指揮者によって個性が違いますので、より聴衆受け 
する指揮者とそうでない指揮者との差異が生じてきます。そして、我々リスナー、聴衆は、 
演奏を指揮者の名前で区別するようになり、CDも指揮者の名前で買うようになってきます。
作品の演奏者、解釈者が指揮者なのです。                       
もちろん、オーケストラが演奏しやすいように拍子をとるという本来の役割もあります。  

オーケストラの団員は、それぞれの楽器のプロフェッショナルです。一般の想像を超えるよ 
うな練習、研磨を積んできた人達の集団です。                     
そんな、個性がぶつかり合うオーケストラを一つにまとめ、自分の解釈の通りに演奏させる 
よう統率するのですから、指揮者とは、まさにカリスマ性に富んだ、豪傑ばかりです。   
特に、18世紀、19世紀生まれの指揮者達は、現代の指揮者達に比べれば、はるかに君主 
性の強い人物の集まりでもありました。                        
録音が残っていない頃から、指揮者の歴史をご紹介します。               

 *「名演奏家列伝」「名作曲家列伝」のコーナーでご紹介している演奏家や作曲家は  
  名前に下線がありますので、クリックすると詳しいご紹介へとジャンプします。  






 ★ メニュー ★

  クリックすると、各インデックスへとジャンプします。    T.指揮者の登場    U.専業の指揮者が登場してきた時代    V.19世紀生まれの巨匠指揮者達の時代    W.戦後に活躍した指揮者達    X.ステレオ録音隆盛〜カラヤンの時代      A.イタリア人指揮者達   B.フランス・ベルギー系指揮者達   C.ハンガリー系指揮者達      D.イギリス人指揮者達   E.ロシア・スラヴ系指揮者達   F.日本人指揮者達    Y.古楽器指揮者の台頭    Z.ポスト・カラヤンの時代〜20世紀末の名指揮者達〜    [.21世紀の名指揮者達
T.指揮者の登場  クラシック音楽の指揮の歴史の原点は、中世ヨーロッパの教会にあると言われています。    17世紀頃の指揮は、当時の絵画などから、素手や小さな棒、あるいは杖を使ったという説   が現在では定着しています。                               この頃の指揮者の役割を務めたのは、概ね作曲家自身か、パートの首席奏者です。       作曲者自身というのは、皆さんご存知の、ベートーヴェンらのことです。「第九」の初演の   指揮を行なったのもベートーヴェン本人でした。この、作曲者自身が指揮者も務めるという   自作自演は、20世紀になっても続きましたし、現在でもあります。専業の指揮者が登場し   ても、なお続いています。後者の、パートの首席奏者による指揮、という形態は現在ではほ   とんど見られなくなりましたが、その代わりに「弾き振り」と呼ばれ、協奏曲で独奏楽器の   ソリストが同時に指揮者の役割も担うことはよくあります。                U.専業の指揮者が登場してきた時代  19世紀になっても、作曲者による自作自演の指揮も引き続き行なわれましたが、曲がより   複雑になったり、高度な指揮技術が必要とされてきて、専業の指揮者が登場します。      初めての専業の指揮者と言われているのは、ハンス・フォン・ビューローという人物です。   この人物は指揮法の発展に多大な貢献をし、ベルリン・フィルハーモニーの初代の常任指揮   者としても有名です。他には、ハンス・リヒター、アルトゥール・ニキシュ(ベルリン・フ   ィルの第2代目の常任指揮者です)、フェリックス・ワインガルトナー、エーリヒ・クライ   バー(カルロス・クライバーの父です)などの名前が挙げられます。この頃には、今日のよ   うな指揮棒が使用されるようになりました。                        一方で、作曲者としても有名ながら、名指揮者としても名高い作曲家達が活躍した頃でもあ   りました。メンデルスゾーンリヒャルト・シュトラウスワーグナーリストマーラー   らが有名です。メンデルスゾーンは指揮棒の使用と、独立した「指揮者」という存在や指揮   法を確立させたことで、作曲以外にも音楽史に功績を残しました。また、リヒャルト・シュ   トラウスやマーラーは、作曲家というよりもむしろ、指揮者として大活躍したことが知られ   ています。とりわけマーラーは、本業は指揮者でして、しかも当時の第一級の指揮者でした。  「暴君」と呼ばれ、楽員などはもとより、演奏中に物音を立てる聴衆をも怒鳴り散らす程の   絶対君主だったと言われています。マーラーは極端な例ですが、この頃の指揮者の君主性は   現在とは比べ物にならない程だったのです。今では、こんな指揮者はオケに二度と呼んでも   らえないでしょうが、19世紀のヨーロッパですから、明らかに今とは時代背景や思想が違   っていました。                                     19世紀には録音装置がありませんでしたので、19世紀の音源というものは全く残ってい   ませんが、ここで名前を挙げた指揮者で録音が残っている指揮者もいないことはありません。  残念ながら、マーラーが指揮した録音は残っていません。マーラーが弾いたというピアノの   録音はありますが、どうも疑わしいようです。                      V.19世紀生まれの巨匠指揮者の時代   1925年の電気録音によるSPレコードの開発により、「演奏を録音する」ということが   可能になりました。続いて、5分弱しか録音できなかったSPレコードに替わって、両面に   43分録音できるというLPレコードが1947年に開発されました。LPレコードの登場   は、交響曲ならば4楽章すべてを収録することを可能にさせたため、人々と音楽との関わり   が一変しました。この恩恵を受けたのが、19世紀生まれの「4大巨匠」と呼ばれる、ドイ   ツのブルーノ・ワルターウィルヘルム・フルトヴェングラー、オランダのウィレム・メン   ゲルベルク、イタリアのアルトゥーロ・トスカニーニ達であり、ヨーロッパとアメリカにお   いてクラシック音楽の普及に計り知れない功績を残しました。特に、メンゲルベルクを除く   3人は「3大巨匠」とも呼ばれ、残された録音も多いため、21世紀になった今日でもなお、  現役の指揮者達にも劣らないほどの人気を誇っています。演奏会の映像のDVD化が進んで   いる今、3大巨匠のDVDはCDを凌ぐほどの人気があるようです。             20世紀で1940年代までといえば、ヨーロッパは大きな戦争の真っ只中でした。よって、  4大巨匠の活躍した時代背景というものは、現在とは全く異なります。これからご紹介する   多くの指揮者達にも関わってくることですが、ユダヤ系指揮者が迫害を受けたという点につ   いては、指揮者の歴史を語る上で絶対に欠かせない要素となります。この点は、ピアニスト   などの楽器の演奏家においても同じです。政治とクラシック音楽は、実はきってもきれない   関係にあります。                                    それでは、4大巨匠それぞれについて簡単にご紹介しましょう。詳しくは「名指揮者列伝」   のコーナーを参考になさって下さい。                           ・トスカニーニ(1867〜1957) イタリア   イタリア生まれで1908年に渡米。晩年は自身のために結成されたNBC交響楽団の    指揮者として、多くの録音を残しました。                        マーラー以後の、指揮者史上最高クラスの暴君としても知られています。         ・メンゲルベルク(1871〜1951) オランダ   オランダに生まれ、現在のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(当時はアムステルダ    ム・コンセルトヘボウ管弦楽団)の指揮者を50年という長い間務め、同オケを徹底的    に鍛え上げて、世界の第一級のオケにまで育て上げました。                その君主ぶりはトスカニーニ以上とも言える程で、団員を震え上がらせていたそうです。  ・ワルター(1876〜1962) オーストリア    マーラーの弟子で、第二次大戦以前はウィーン・フィルとのコンビで大活躍しました。    ここに挙げている4大巨匠の中で、最もナチスの迫害に遭ったのはワルターです。      ユダヤ系であったワルターには当然ナチスの手が伸び、コンサート会場に爆弾が投げ込    まれました。ナチスは暗殺を狙い、運よくその手を逃れたものの、ウィーンの財産は没    収され、次女は殺害されました。                            悪夢のような迫害を受けたワルターは渡米し、既に引退していたワルターのためにコロ    ンビア交響楽団が結成され、我々は現在でも、ステレオ録音の高音質によって、多くの    名演を耳にすることが出来ます。                              ・フルトヴェングラー(1886〜1954) ドイツ   ドイツ出身で、ベルリン・フィルの第3代目の常任指揮者を務めました。第二次大戦の    時は、ベルリンに残りましたが、戦後になってナチスと協力したという疑惑が浮上し、    2年間、演奏活動を停止せざるをえなくなってしまいました。               指揮者としては君主性を前面に出すようなタイプではありませんでしたが、数々の名演    から伺えるように、大変なカリスマ性を持った指揮者でした。                 この4人の他にも、19世紀生まれの有名な指揮者といいますと、             モントゥーV−Bでご紹介)、ストコフスキー(V−Dでご紹介)、アンセルメ、   セルV−Cでご紹介)、クナッパーツブッシュベームVでご紹介)、   バルビローリ(V−Dでご紹介)、マタチッチ(V−Eでご紹介)、クレンペラー、   ライナー(V−Cでご紹介)、ミュンシュV−Bでご紹介)   らが挙げられます。                                  これらの中で、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、アンセルメの3人は、次のWで    ご紹介します。                                                             メニューへ戻る
       W.戦後に活躍した指揮者達  終戦後、LPレコードの更なる普及や1950年代半ばのステレオ録音の開発により、クラ   シック音楽を聴く環境が大きく変化しました。Vでご紹介した「4大巨匠」でステレオ録音   があるのはトスカニーニとワルターで、トスカニーニは亡くなる寸前のライヴ録音が何とか   残されている程度ですから、恩恵を受けたのはほぼワルターのみというのが実状です。     ですが、ここでご紹介する5人の指揮者達は、大きくステレオ録音の恩恵を受けました。ま   た、ジェット機の進歩やグローバル化により、指揮者や演奏家達も世界を股にかけて活躍す   る時代となりました。                                  クラシックのレコード会社も市場をより拡大していった時代でもあります。          ワルターセルホロヴィッツ(ピアニスト)といった、ユダヤ系で亡命した音楽家達を擁   したアメリカのコロムビアレコード(現ソニー・クラシカル)や、トスカニーニルービン   シュタイン(ピアニスト)らを擁したRCAはスター音楽家を看板に、アメリカでクラシッ   ク音楽をどんどん普及させていきました。                         本場のヨーロッパでも、イギリスのEMIやDECCA、ドイツのグラモフォン、オランダ   のPHILIPSなどがスター音楽家発掘に躍起になっていました。             では、5人の指揮者を簡単にご紹介しましょう。                      ・アンセルメ(1883〜1969) スイス   スイス生まれで、スイスに亡命してきた多くの演奏家と親交をもてたことや、DECC    Aの優れた音質にも恵まれ、自ら立ち上げたスイス・ロマンド管弦楽団を手塩にかけて    育てました。フランスやロシアの音楽や、バレエ音楽を得意としました。         ・クレンペラー(1885〜1973) ポーランド   マーラーの弟子でもあり、ドイツを中心に活躍した20世紀を代表する名指揮者です。    フィルハーモニア管弦楽団を手に入れ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団となってか    らも会長を務め、EMIの看板指揮者として、ステレオ録音の名盤を多く残しました。   ・クナッパーツブッシュ(1888〜1965) ドイツ   ほとんどドイツのオケの指揮者として活躍しましたが、ウィーン・フィル、ベルリン・    フィルの指揮台にも数多く立っています。ワーグナーブルックナーを得意としました。   多くはモノーラル録音ですが、ステレオ録音にも素晴らしい演奏があります。       ・ヨッフム(1902〜1987) ドイツ   ドイツのバイエルン放送交響楽団の設立に尽力して首席指揮者になり、アムステルダム    ・コンセルトヘボウの常任指揮者として活躍しましたが、ひたすら母国のドイツで研鑽    を積みながらドイツ音楽を追究した、ヴァントと同じタイプの、純ドイツ指揮者です。   ・チェリビダッケ(1912〜1996) ルーマニア   ルーマニア生まれで、非常に個性の強い指揮者。詳しくは「名指揮者列伝」の方で。     フルトヴェングラーが2年間演奏禁止になっていた際に、ベルリン・フィルの首席指揮    者に就きましたが、第4代目の常任指揮者の座をカラヤンに奪われたのが人生の転機で    した。その後はドイツでシュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者、ミュンヘン・    フィルの音楽監督を務めましたが、スターとして脚光を浴びることはありませんでした。  ・リヒター(1926〜1981) ドイツ   リヒターは他の指揮者たちと比べて異色です。ひたすら現代楽器でバロック音楽の演奏    に生涯を注ぎました。その分、バッハの管弦楽曲、声楽曲においては、他の追随を全く    許さないほどのスペシャリストで、「バッハの化身」と呼ばれました。                                    メニューへ戻る
X.ステレオ録音隆盛〜カラヤンの時代  アメリカでスター演奏家が人気を得て、クラシック音楽が普及していた頃、「3大巨匠」の   うちヨーロッパに残っていたのは、ベルリン・フィルの第3代目の常任指揮者を務めていた   フルトヴェングラーだけでした。ヨーロッパのEMI、グラモフォン、DECCAといった   大きなレーベルは、こぞって次のスター演奏家を求めていました。              そこで、EMIが目をつけたのが、当時はまだ無名に近かった、カラヤンでした。       カラヤンは、指揮姿が流麗でかっこいいこと、容姿もかっこいいこと、オーケストラから、   「美しい音」を出すことに秀でていた指揮者でしたから、EMIのディレクターはカラヤン   をスターとして売り出すために、仕事場を求めていた腕利きの楽員達を集め、フィルハーモ   ニア管弦楽団を結成し、ひたすら録音をさせました。                    かくして、無名であったながらも、カラヤンのレコードは世界中で売れ始め、一気にスター   に登りつめることとなり、EMIの戦略は大成功となりました。               「3大巨匠」は次々と亡くなり、カラヤンはフルトヴェングラーの後継としてベルリン・フ   ィルの第4代目の終身指揮者となっただけでなく、ベームを追い出してウィーン国立歌劇場   を手に入れ、ミラノ・スカラ座、パリ管弦楽団などを次々と手中に収め、ザルツブルク音楽   祭、バイロイト音楽祭にも登場するなど、文字通り「帝王」として君臨し、ヨーロッパのク   ラシック音楽界はカラヤンを中心に動き出すこととなったのです。              ここで、カラヤンについて改めてご紹介しましょう。演奏スタイルや名盤などは、「名指揮   者列伝」を御覧下さい。                                 カラヤンは1908年オーストリアのザルツブルク生まれで、48歳の時にベルリン・フィ   ルの終身指揮者に就任しました。「名指揮者列伝」でも触れていますが、残した録音はおび   ただしい数にのぼり、しかもバロック時代を除けば、オペラも含め、有名どころの作曲家は   ほぼすべてと言ってもいい程のレパートリーを誇り、録音を残しました。           言うまでもなく、クラシックの指揮者史上ダントツで最も有名な指揮者でして、クラシック   に興味がない方でもその名は知っているくらいです。また、EMIの後にドイツのグラモフ   ォンと契約してからは、それこそ「カラヤン&ベルリン・フィル」あるいは「カラヤン&ウ   ィーン・フィル」というブランドは最高の価値を持ち、膨大なレコードを世界中に普及させ   ました。もちろん、西洋から遠く離れた日本にクラシック音楽を普及させたことも含め、今   日、クラシック音楽が普及しているのはカラヤンの功績に他ならないといっても全く過言で   はありません。膨大なレコードを出し、マーケットのシェアの大部分を占めることによって、  クラシックに馴染みのない方や、初心者の方には、クラシック=カラヤン、クラシックを聴   くのならばカラヤンのレコード、という価値感を持たせた訳です。マーケット戦略の勝利で   す。カラヤンが秀でていた面は、カリスマ性やかっこよさ、という面もそうですが、どうす   ればクラシック初心者の方や入門者の方に「うける録音」を作ればいいのかを熟知していた   面でしょう。カラヤンの音楽は豪華絢爛にして、耳に心地よいものです。「オケから美しい   音色を引き出す」手腕に関しては、おそらく指揮者史上最高レベルにあります。        そして、クラシック音楽がなるべく退屈でないように、心地よいものであるように、とっつ   きやすいものであるように、難しい解釈を必要としないようにと、垣根を低くするように努   めました。つまり、サウンドとしてのクラシック音楽を追求したのです。           それによって、今までクラシックに興味がなかった人達にもクラシックを普及させた功績は   計り知れないものがありますが、逆に、芸術作品としてのクラシック音楽の価値を低落させ   ることにもなってしまったのです。                            同時に、単なる指揮者ではなく、芸術家としての一面も決して失わないようにもしました。   レコードのジャケットなどでは、自分が納得した写真しか使用させなかったり、現在ではD   VDで観られるコンサートの映像も、オーケストラには演奏しているふりだけをさせ、実際   にはCDを流しているだけ、であったり、人気のあるスター指揮者には決してベルリン・フ   ィルの指揮台に立たせない(チェリビダッケバーンスタインカルロス・クライバーら)   などの策略家でもありました。                              これらの、クラシック音楽の価値を低落させたことや、策略家であった面が、現在でも批判   の的となってしまっています。                              興味のある方は、カラヤンについての書籍をお読みになってはいかがでしょうか。       では引き続き、カラヤンとほぼ同世代の世界的指揮者3人をご紹介しましょう。        ・ベーム(1894〜1981) オーストリア   ウィーン・フィルやベルリン・フィルと多くの名盤を残した、20世紀を代表する指揮    者です。カラヤンのブームにのってレコードも売れ、日本でも人気がありました。      スター性に欠けていたため、カラヤンとはつかず、離れずの関係でありました。      ・ムラヴィンスキー(1903〜1988) ロシア   ロシアに生まれ、当時のレニングラード・フィルの首席指揮者を50年間務めました。    冷戦の時代、社会主義体制の旧ソビエトの演奏家達は、指揮者に限らず、母国に残るか、   他国に亡命するかの選択を強いられました。ロシアに留まり、ヨーロッパのオケを振る    ことを望まなかったため、カラヤンにとっては敵でもなかったのでしょうか。       ・バーンスタイン(1918〜1990) アメリカ   ユダヤ系アメリカ人で、20世紀を代表する世界的指揮者です。活躍の時期はまさにカ    ラヤンと同じでした。母国のニューヨーク・フィルの音楽監督を経てヨーロッパに渡り、   ウィーン・フィルなどと共演しました。1度だけベルリン・フィルの指揮台に立ちまし    たが、バーンスタインのスター性を知っていたカラヤンは、二度と指揮台に立たせませ    んでした。                                     カラヤン、ベーム、バーンスタインの主な所属レーベルは、現在世界一のシェアを誇る、ド  イツのグラモフォンでした。グラモフォンはこの時期、カラヤンを中心に磐石の礎を築いた  と言うこともできるでしょう。                                                       メニューへ戻る
V−A.イタリア人指揮者達  クラシック音楽の源流はオペラと教会(ローマ・カトリック)音楽ですから、イタリアはま   さにクラシック音楽の中心国の1つです。作曲家では、バロック時代初期の最大の作曲家で   あったモンテヴェルディ、「四季」で有名なバロック時代の大作曲家ヴィヴァルディ、同じ   くバロック時代の作曲家アルビノ−ニ(「アダージョ」で有名)らを始め、オペラの大作曲   家であったロッシーニヴェルディ(今でも国民的英雄とされています)、プッチーニの3   人を輩出し、指揮者ではトスカニーニ、オペラ専門の指揮者であったセラフィン、カラヤン   の後にベルリン・フィルの芸術監督となったアバドを輩出するなど、ドイツ、オーストリア   に次ぐクラシック大国と言えます。                            ここでは、セラフィン、ジュリーニ、アバド、ムーティ、シャイーの5人の指揮者をご紹介   します。                                        戦後に活躍したイタリア人指揮者達には、運もよく、活躍が約束されるようなレールが用意   されていました。世界最高水準のオーケストラ、巨大なマーケットをもつレコードレーベル、  クラシック音楽の「聴衆」などです。もう、大戦の傷跡や(ご存知のように、イタリアもム   ッソリーニの元でファシズム体勢をしいていた戦犯国です)人種差別を気にすることもなく、  思いのままに音楽活動ができ、レコードは売れ、有名オペラハウスの音楽監督に就くと大金   と権力を手中にできたという恵まれた世代でした。                     「イタリア音楽」の一番の特徴と言えば、カンタービレ、つまり「歌心」です。オペラだけ   でなく、オーケストラの演奏にも「歌」がありました。                   世界でも有数の弦楽合奏団であるイ・ムジチ合奏団はイタリアの楽団ですが、イ・ムジチの   演奏にも「歌」があります。イ・ムジチによるヴィヴァルディの「四季」が日本で大ヒット   したのもこの頃です。                                  ・セラフィン(1878〜1968)   イタリアには、オペラしか演奏しない指揮者が多数おり、セラフィンはその歴代最高の    指揮者です。ミラノ・スカラ座と、「イタリアの香り」が漂う、独特の上品で美しい響    きを聴かせました。名盤も多く残しています。                     ・ジュリーニ(1914〜2005)   ジュリーニは、一流のオケの監督というポストを望まず、また金や権力に執着すること    もありませんでした。晩年は、客演指揮者としてウィーン・フィルなどと共演しました。  ・アバド(1933〜2014)   アバドは、カラヤンが持っていた、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリン    ・フィルの常任指揮者というポストをそのまま継承しましたが、運悪く、カラヤンやバ    ーンスタインというスターの死によって、レコード(CD)の売り上げは下落の一途を    辿る時代になってしまいました。晩年は、自ら設立した楽団を指揮していました。     ・ムーティ(1941〜)   ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ミラノ・スカラ座な    どの音楽監督を歴任し、名器に恵まれた指揮者です。ウィーン・フィルの名誉団員を与    えられるなど、ウィーン・フィルとの関係はとりわけ良好で、今後もまだまだ活躍が期    待されます。得意なジャンルはオペラです。                      ・シャイー(1953〜)   35歳の若さで、世界最高レベルを誇るロイヤル・コンセルトヘボウの首席指揮者を務    めました。ドイツ最古の名門である、ライプツィヒ州立歌劇場の音楽監督を務め、名盤   を多く残しましたが、その後はルツェルン祝祭管弦楽団、ミラノ・スカラ座管弦楽団の   音楽監督を務めており、まだまだ大いに活躍が期待されます。                                       メニューへ戻る
V−B.フランス・ベルギー系指揮者達  フランス音楽、例えばドビュッシーラヴェルなどは、ドイツ・オーストリア系の音楽とは   また違って、独特の色彩感があるとされています。小澤征爾の言葉に、            「アンサンブルが悪いとか、音程が合っていないというようなことを忘れさせ、オーケスト   ラから出てくる音の輝かしさ、あるいは色彩感に、僕はまず魅了されてしまう」        というものがあります。フランス音楽と同様、フランスのオーケストラにも独特の響きがあ   るようです。                                      フランスの世界的なオーケストラといいますと、まずは、パリ音楽院管弦楽団を母体として   設立されたパリ管弦楽団が挙げられます。                         フランス生まれの指揮者達は、お家芸とでもいいましょうか、「フランスの音色」を引き出   す術に長けています。いえ、それはフランス生まれの指揮者にしかできない、と言えば極論   でしょうが、フランス生まれの演奏家達は、みな、上品で、洒脱で、「エスプリ」と称され   る、フランス的な精神、知性を表現するようなスタイルをどこかに持っています。       なお、現在、フランス音楽の第一人者と言いますと、NHK交響楽団との共演でも有名で、   親日家のシャルル・デュトワ(Zでご紹介)です。                     ここでは、デュトワを除いた、フランス・ベルギー系の指揮者を4人ご紹介します。      ・モントゥー(1875〜1964) フランス   詳しくは「名指揮者列伝」にて。19世紀生まれの巨匠指揮者の1人です。フランスで    大きなポストに就くことはありませんでしたが、ボストン交響楽団、サンフランシスコ    交響楽団など、アメリカで素晴らしいフランス音楽を聴かせた大指揮者です。       ・ミュンシュ(1891〜1968) フランス   パリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を経て、パリ管弦楽団の初代音楽監督に就きました。    何と言っても、ブラームスの交響曲第1番ベルリオーズの幻想交響曲は、永遠の名盤    として語り継がれています。ラヴェルも得意としました。                ・クリュイタンス(1905〜1967) ベルギー   ミュンシュの後継としてパリ管弦楽団の音楽監督を務めました。ラヴェル、フォーレ、    ビゼーというフランスの作曲家の超名盤がズラリ揃っている、超スペシャリストです。   ・マルティノン(1910〜1976) フランス   フランス国立放送管弦楽団の首席指揮者を務めました。1953年の来日公演でNHK    交響楽団を振った際、「N響からフランスの音が出た」と、大きな話題になりました。                             メニューへ戻る V−C.ハンガリー系指揮者達  戦後のアメリカは、ヨーロッパの大物演奏家の渡米により、2大レーベルでありましたコロ   ムビアレコード(現ソニー・クラシカル)とRCAから次々と話題性のあるレコードがリリ   ースされ、クラシック音楽の巨大なマーケットになっていきました。             ですが、如何せんクラシック音楽の歴史が浅いため、アメリカのオーケストラのレベルは本   場ヨーロッパの有名なオケに比べると、数段低いものでした。                アメリカ生まれの大指揮者も、バーンスタインでご紹介)くらいでした。         そこで、カラヤンの時代にアメリカのオケを鍛え上げたのが、揃ってハンガリー系の指揮者   達だったのです。                                    ハンガリーは、かつてはハプスブルク帝国として、世界に脅威を与えていた国でありますか   ら、強気な国民性がありました。そのため、「オーケストラ・ビルダー」と称される、楽員   に恐れられるほどの君主性を持ち、トレーナーとしての能力に秀でていて、オケの技術を徹   底的に鍛え上げるタイプのハンガリー系指揮者達は、まさにアメリカのオケのレベルを上げ   るのにはピッタリだったのです。ここでは4人の指揮者をご紹介しますが、これによって、   アメリカの有名オケもヨーロッパに並ぶ世界最高レベルの技術集団になったのです。      「指揮台の上の暴君」の系譜を作ってみますと、古くはマーラー、そして「4大巨匠」では、  トスカニーニメンゲルベルク、最後に、これからご紹介する4人の指揮者達が来ます。    ただ、こういった「オーケストラ・ビルダー」タイプの指揮者は、20世紀末には時代遅れ   だったのでしょうか、君主性が強いとオケから追放されるようになってしまいました。     ・ライナー(1888〜1963) ハンガリー   典型的な「暴君」として恐れられていました。シンシナティ交響楽団では、厳しすぎて    追放されましたが、シカゴ交響楽団を鍛え上げ、ヨーロッパでも「正確で柔軟性に富む    オーケストラ」と呼ばれるまでに成長させました。                   ・セル(1897〜1970) ハンガリー   クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を約25年務め、「セルの楽器」と呼ばれる鉄の軍    団を作り上げました。楽員やプログラムの決定権まで、全権を掌握していました。     ・オーマンディ(1899〜1988) ハンガリー   フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を40年務めました。映画音楽なども演奏する同    オケは「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」と呼ばれ、アメリカのゴージャスな音    楽の象徴ともなっています。アメリカで大成功を収めた指揮者です。           ・ショルティ(1912〜1997) ハンガリー   ライナーの後を受け、シカゴ交響楽団を更に鍛え上げ、世界最高レベルのアンサンブル    集団へと成長させました。リハーサルの際に、「私は噛み付きはしないから、怖がらな    いで。音楽をやりたいだけなんだ。」と楽員に語ったというエピソードがあります。                              メニューへ戻る
V−D.イギリス人指揮者達  イギリスには、EMIやDECCAというメジャーレーベルがあるのですが、これといった   有名なクラシック作曲家は、「威風堂々」エルガーくらいです。また、指揮者もこれとい   った世界的指揮者には恵まれていませんでした。                      ですが、2002年に、サイモン・ラトルが、前代のアバドの後を継ぎ、第6代目のベルリ   ン・フィルの芸術監督に就任しました。                          ラトルはイギリス史上最高の指揮者になれるのでしょうか。                 イギリスでは21世紀になった現在でも、依然社会的階級の名残がありまして、クラシック   音楽は上層階級の人々が嗜むもの、という価値観が根付いています。よってクラシック指揮   者のステータスは驚く程高く、「Sir(サー)」の称号を叙されることが多いのです。    Sirとは、中世の騎士階級(ナイト)につけられた称号で、現在では名誉程度の意味しか   持たないようですが、指揮者以外でこの称号を持つ人達には、サッカーのデビッド・ベッカ   ム、俳優のショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ミュージシャンのポール・マッカート   ニー、エルトン・ジョンなど、錚々たる面々が並びます。元々Sir=ナイトは男性に与え   られる称号でしたので、女性は少ないようです。ラトルはこの称号を、ベルリン・フィルの   芸術監督になるはるか前、30代の若さで授与されているのですが、これはバーミンガム市   交響楽団の首席指揮者に就任し、同オケを世界水準に引き上げた功績に対してのものです。   さて、話はそれましたが、イギリス生まれの有名な指揮者には、ビーチャム、ストコフスキ   ー、ボールト、バルビローリ、マリナー、デイヴィス、ノリントン、ガーディナー、ピノッ   ク、そしてラトルが挙げられます。これらの指揮者の中で、「Sir」の称号を得ていない   のは、ストコフスキーとピノックだけです。                        ここでは、3人の指揮者をご紹介します。ガーディナーYで、ラトルは[でご紹介します。  ・ストコフスキー(1882〜1977) イギリス   V−Cでご紹介したオーマンディの前に、フィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者を務    めました。とにかく、聴衆(観衆)が喜ぶようにするにはどうしたらよいのかをひたす    ら探求し続け、クラシックの演奏にも視覚効果などを導入し、エンターテイメント性を    盛り込んだ、個性的な指揮者でした。もちろんアメリカでは大成功を収めました。     ・バルビローリ(1899〜1970) イギリス   渡米し、ニューヨーク・フィルの首席指揮者を務めるも、前任者トスカニーニが偉大す    ぎて成功はしませんでした。帰国後、ハレ管弦楽団の首席指揮者を務め、手塩にかけて    同オケの再建に尽力しました。シベリウスに名演が多い指揮者です。           ・マリナー(1924〜2016) イギリス   フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団のヴァイオリン奏者であったマリナーは、   1959年にアカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン    ・ザ・フィールズ)を結成し、自身は指揮者となりました。同楽団は、世界でも有数の    「管弦楽団」です。地味ながら、着実な演奏ぶりが特徴で、名演も多く残しています。                             メニューへ戻る
V−E.ロシア・スラヴ系指揮者達  ロシアは、ヨーロッパの中で革命が起きたのが最も遅く、1917年にロシア革命が起こり   ました。その後建国されたソビエト連邦は1991年まで続きます。そして第一級のピアニ   スト、弦楽器奏者達を数多く生み出しました。                       第二次大戦から冷戦時代には、クラシックの演奏家達は、他国に流出するか、母国に留まる   かの選択を強いられました。当然、母国に留まっていては、活動範囲が制限されます。     よって多くの演奏家は母国を離れたのですが、「鉄のカーテン」と呼ばれる向こう側、つま   りソビエト内に留まり、他国には、「カーテンの向こうに、一糸乱れぬ演奏をする凄い指揮   者がいるらしい」という情報だけが飛び交い、神格化された指揮者がいました。        それがXでご紹介したムラヴィンスキーです。終生、レニングラード・フィルを手兵とし、   他国のオケの音楽監督になることはありませんでした。                   ロシア出身の指揮者は、[ゲルギエフをご紹介します。ピアニスト、弦楽器奏者はそれこ   そ第一級の世界的名手ばかりで、人材にはことかかないのですが、指揮者はさほどではない   ようです。                                       また、ロシア(ソビエト)内で行なわれた録音は、ほとんどが国営のメロディアというレー   ベルなのですが、音質が悪いことで有名です。この点にはご注意下さい。           続いて、ロシアと同じスラヴ語を共有するスラヴ系諸国、特にチェコは、クーベリック、ア   ンチェル、ノイマンといった才能溢れる指揮者を輩出しています。これらの指揮者達による   お国物のスメタナやドヴォルザークの、独特の民族色溢れる演奏は、他の追随を許さないも   のがあります。                                     チェコからはクーベリックとノイマンを、旧ユーゴからはマタチッチをご紹介しましょう。   なお、チェコという国は、東西に大国があり、振り回され続けた感が拭えない国です。とり   わけ、ナチスに支配された際は、多くのユダヤ系音楽家が犠牲となりました。         ・クーベリック(1914〜1996) チェコ   27歳という若さで、チェコ・フィルの首席指揮者に就任しました。クーデターのため    にアメリカ、ヨーロッパを転々とした後に引退しますが、1990年、民主化を果たし    たチェコに40年ぶりに帰国しました。「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを振り、   スメタナの「わが祖国」を演奏したことは、チェコの歴史的イベントとして、今も語り    継がれています。                                  ・ノイマン(1920〜1995) チェコ   1968年、アンチェルの後任としてチェコ・フィルの首席指揮者に就任し、1990    年まで同オケに全力を注ぎました。民族色溢れる演奏は、多くのファンの心を掴みまし    た。                                        ・マタチッチ(1899〜1985) 旧ユーゴスラビア   旧ユーゴ出身ということで差別を受けていたことと、親ナチスであったレッテルを終戦    後も剥がされることがなかったため、特定のポストに落ち着くことはありませんでした    が、ドレスデン国立歌劇場、チェコ・フィルなどと親交が深い指揮者でした。また、N    HK交響楽団の客演指揮者として9回来日しており、日本人には特に親しまれました。    スター指揮者として脚光を浴びた存在ではありませんでしたし、録音の数も少ないので    すが、N響と残した多くの名演は今でも語り草となっています。                                       メニューへ戻る
V−F.日本人指揮者達 日本人指揮者の草分けと言えば、山田耕筰と近衛秀麿(このえひでまろ)の二人の名が挙がり  ますが、山田耕筰は、ご存知のように作曲の方が主業でしたので、専業指揮者としては、近衛  秀麿が最初ということになります。近衛は1898年生まれですが、何とベルリン・フィルに  度々客演し、その録音も残っています。                          その後、朝比奈隆が中国へ客演指揮者として招かれ、演奏することはありましたが、本格的に  日本人指揮者が海外を拠点に活動するようになったのは1960年代です。          まずは、やはり「世界のオザワ」小澤征爾がニューヨーク・フィルの副指揮者に就きました。  同年、岩城宏之がチェコ・フィルを振りました。70年代には小林研一郎、若杉宏、80年代  以降には広上淳一、大野和士、佐渡裕、大植英次、鈴木雅明らの海外での活躍がありましたが、 何と言っても小澤征爾の出世ぶりにかなう指揮者はいませんでした。小澤は、詳しくはZでご  紹介しますが、クラシック音楽が伝わってからまだ100年程度という我が国日本から、ウィ  ーン・フィルの元旦の恒例行事、ニューイヤー・コンサートの指揮台に立ち、世界最高峰のオ  ペラ場である、ウィーン国立歌劇場の芸術監督に就く人物が出たということ自体、奇蹟に近い  ものです(ウィーン・フィルハーモニーの団員は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員の中か  ら選抜されます)。                                   この小澤の偉業を再び成し遂げることができる、あるいは、ベルリン・フィルの音楽監督に就  く日本人指揮者は、果たして21世紀中に現れるのでしょうか?               ここでは、小澤征爾を除き、4人の日本人指揮者をご紹介します。               ・朝比奈隆(1908〜2001)   大阪フィルハーモニーの指揮者を50年以上務めました。ベルリン・フィル、シカゴ交    響楽団などの第一級の海外オケの客演もありましたが、小澤とは違い、終生日本(関西)   を拠点に活動し、晩年はチケットが即完売するほどの人気を誇りました。         ・小林研一郎(1940〜)   チェコ・フィルの常任客演指揮者であり、ハンガリー、チェコ、オランダでは小澤に並    ぶ知名度を誇っています。日本では「コバケン」の愛称で親しまれています。       ・鈴木雅明(1954〜)   BCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)を設立し、名前の通り、バッハの作品を中心    に精力的に活動をしてきました。古楽器演奏隆盛の昨今、バッハの演奏においては世界    でも屈指の存在となりました。                             日本では客演指揮者として現代楽器のオーケストラを指揮することもあります。      ・佐渡裕(1961〜)   フランスのオケと相性が良く、パリ管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立フィル    と共演したフランス音楽には定評があります。ダイナミックな指揮ぶりも特徴です。                                    メニューへ戻る
Y.古楽器指揮者の台頭  カラヤンがまだ隆盛の1970年代、クラシックの演奏史において、最も大きな変革期と   いってもよい変化が起こりました。「古楽器演奏」の始まりです。             「古楽器演奏」とは何なのか、ご説明していきましょう。                 バッハヴィヴァルディヘンデルなどが活躍したバロック時代や、モーツァルトハイ   ドンなどが活躍した古典派の時代では、今日一般の楽器店で売っている弦楽器や管楽器と   は違う、「古楽器(こがっき、ピリオド楽器、オリジナル楽器)」と呼ばれる楽器で演奏   されていました。それに対して、今日、楽器店で売られている楽器は「現代楽器」「モダ   ン楽器」などと呼ばれています。                            古楽器は、現代楽器と比べると、やや音が低く(周波数を低く設定してあります)、あま   りヴィブラートがかかりませんから、演奏を耳にすれば、どちらの演奏かは判ります。    学問的な意味で、当時の作品を演奏するには当時の楽器を使って、という「復古的演奏」   という目的で、古楽器演奏を行なう指揮者たちが登場しました。1970年代のことです。  主にバロック時代の作品を演奏していたのですが、ベートーヴェンらのロマン派に比べる   と楽譜が簡単に書いてあり、かなり即興性が活かされているため、演奏者によっては、非   常に斬新な、あるいは奇抜な演奏も可能となりました。そんなわけで、元々の「復古的演   奏」という枠に縛られず、古楽器演奏の方が、現代楽器の演奏よりも、かえって自由奔放   な演奏を行なうようになったのです。そして、1980年代、90年代になると、自由奔   放な演奏を行うのは当たり前、そして演奏する作品も、古典派はもちろん、何とベートー   ヴェンらのロマン派まで及ぶようになってきました。ベートーヴェンの時代には現代楽器   が使われていましたから、「復古的演奏」という名目を通り越しているのですが、それだ   け「古楽器演奏」が幅を利かせるようになり、また、名演も多く生まれることとなったわ   けです。                                       以上が「古楽器演奏のブーム」と呼ばれます。                      21世紀の現在では、更に古楽器演奏が盛んになってきました。              バロック時代の作品では、名盤の上位がほとんど古楽器演奏ばかりで、新しい録音も古楽   器演奏ばかりというのも当然のようになりましたし、古典派の時代の作品の名盤、それが   たとえモーツァルトの交響曲でさえも、古楽器演奏のCDがベスト盤争いの常連という時   代となっているのが事実です。それが「時代の流れ」ということでしょう。         また、現代楽器による演奏の代表格であるアバドアーノンクールなどの演奏が、あまり   ヴィブラートをかけず、やや早めのテンポで演奏する、いわゆる「ピリオド・アプローチ」  となっているのは、「古楽器演奏」の影響を受けていることの証拠でもあります。今後は   ピリオド・アプローチによる演奏が更に増えていくかもしれません。            なお、古楽器演奏をする指揮者は決まっています。例えば、小澤やバレンボイムなどは古   楽器演奏はしません。アーノンク−ルは、楽団によって、古楽器演奏をするか、しないか   に分かれます。ですので、CDを購入なさる場合は指揮者よりも楽団に充分ご注意下さい。  ここでは、古楽器演奏専門ではない指揮者も含め、楽団とともにご紹介していきます。     ・レオンハルト(1928〜2012) オランダ    ここに挙げた古楽器指揮者の中では第一人者的存在です。元々はチェンバロ奏者で、    特にバッハの演奏においてはかなり高い評価を受けています。              「弾き振り」のスタイルで、特定の楽団の指揮者というわけではありませんでした。   ・アーノンクール(1929〜2016) オーストリア    現代楽器の指揮者としても、ウィーン・フィルとの共演などが多く、21世紀まで     活躍した指揮者の中で長老的存在でした。                       「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」という楽団を率いたときは古楽器演奏     をしました。とりわけ、同楽団との77年録音のヴィヴァルディの「四季」では斬     新、というよりも、むしろ奇抜な表現を試み、古楽器演奏の自由奔放さとは何かを     初めに世間に知らしめました。現代楽器での演奏でも「ピリオド・アプローチ」を     行う傾向にありました。                               古楽器演奏と、現代楽器の演奏の二刀流の代表的な指揮者でした。           ・ブリュッヘン(1934〜2014) オランダ    元々はブロックフレーテ(昔の縦笛フルート)奏者ですが、「18世紀オーケスト     ラ」という古楽器集団を率いて演奏旅行をし、レコーディングをしました。        バロック音楽は対象とせず、ハイドンモーツァルトベートーヴェンの交響曲を     中心に演奏しましたが、いずれも同曲ベストワン級の評価を得ているあたり、古楽     器演奏最高の成功者の1人です。                           日本では、古楽器ではないオーケストラとの公演もありました。            ・ノリントン(1934〜) イギリス    「ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ」を率いて、ベートーヴェンなどの古楽器     演奏に取り組んだ時は脚光を浴びましたが、晩年は、ジンマンらと同様に、現代楽     器のオーケストラ専門の指揮者になりました。                    ・ジンマン(1936〜) アメリカ    「チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団」との古楽器演奏によるベートーヴェンの交     響曲全集が高評価されましたが、それに続きませんでした。その後は現代楽器のオ     ケを指揮するようになりました。                          ・ホグウッド(1941〜2014) イギリス    「エンシェント室内管弦楽団」を率いて、バロック時代はもちろん、幅広いレパー     トリーで古楽器演奏を行なってきました。                      ・ガーディナー(1943〜) イギリス    古楽器演奏を代表する一人です。「イギリス・バロック・ソロイスツ(イギリス・     バロック管弦楽団)」では主にバロック音楽を、「オルケストル・レヴォルショネ     ール・エ・ロマンティーク」ではバロック音楽以外を演奏、録音していまして、名     盤を数多く輩出しています。現代楽器のオケも指揮する二刀流です。          ・コープマン(1944〜) オランダ    「アムステルダム・バロック管弦楽団」を率いてひたすらバロック時代やモーツァ     ルトの演奏、録音に専念し、名盤も輩出しています。チェンバロ奏者でもあります。   ・インマゼール(1945〜) ベルギー    「アニマ・エテルナ」とのシューベルトの交響曲演奏は高い評価を得ています。       ブリュッヘン同様、交響曲でも力強い演奏をするのに成功した古楽器演奏の指揮者     です。                                      ・ピノック(1946〜) イギリス    「イングリッシュ・コンサート」という古楽器演奏の楽団を率いて、バロック時代     や古典派の演奏を行ないました。                           2003年に引退し、現在は一線を退いています。                                            メニューへ戻る
Z.ポスト・カラヤンの時代〜20世紀末の名指揮者達〜  1989年にカラヤンという大スター指揮者が亡くなった頃、同世代であったベーム(1   894〜1981)、ムラヴィンスキー(1903〜1988)、バーンスタイン(19   18〜1990)という世界的指揮者が次々と無くなり、音楽評論家に言わせると、指揮   者の「没個性化」の時代が始まりました。「3大巨匠のレコード」をひたすら聴いた世代   の方々にとっては、何とも個性が無い指揮者ばかりになってしまいました。これは指揮者   に限ったことではありませんが、「3大巨匠」の頃に活躍した演奏家のレコードを聴けば、  誰の演奏なのかが分かるほど、それぞれに個性がありました。               このサイトでは「無個性」「現代的なスタイル」と指揮者の演奏方法を表現していますが、  20世紀末には、トスカニーニが提唱した「作曲者至上主義」が行き過ぎて、「楽譜通り   に演奏出来ない指揮者はプロとしては失格」という教育や風潮の元に育った指揮者達が世   界の主要ポストを任され始めたため、誰の演奏を聴いても同じように聴こえるようになっ   てしまいました。コンクールの弊害とも言えましょうか。                 どちらがいい、というのは、言えません。音楽は感受性の問題だからです。けれども、こ   のサイトはあくまで「名曲の名盤」を中心に扱っているわけですが、この頃に活躍した少   数の指揮者を除いては、地位や名声に比べて、「名盤」として紹介されているCDがごく   わずかな指揮者達ばかりなのも事実です。                        「サラリーマン指揮者」と揶揄されることもあります。                  そんな中でも、「20世紀最後のカリスマ指揮者」と呼ばれたカルロス・クライバーと、   一気にクラシックの歴史上最高のブルックナー指揮者に上り詰めたヴァントと、X−Aで   ご紹介したアバド、古楽器演奏でブレイクしたアーノンクール、管弦楽曲の名盤は数え切   れないプレヴィンデュトワの6人を、まずご紹介しましょう。               ・ヴァント(1912〜2002) ドイツ    何と80歳代まで陽の目を見ることが無く、ひたすらドイツにこもり、ドイツ音楽の     研究に没頭した指揮者です。Wでご紹介したヨッフムと同じタイプのドイツの指揮者     ですが、クラシック音楽の指揮者の歴史上、類を見ないほどの、究極とも言える超晩     成型の指揮者でした。90年代に、ベルリン・フィルと録音したブルックナーの演奏     は、いずれも過去最高の評価を受けたのですが、10年もしないうちに亡くなってし     まいました。クラシックの歴史上、最高のブルックナー指揮者です。           ・アーノンクール(1929〜2016) オーストリア    Uでもご紹介しましたが、古楽器演奏と、現代楽器の演奏の二刀流の代表的な指揮者     でした。現代楽器としてはウィーン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ、     ヨーロッパ室内管弦楽団などと、古楽器演奏では「ウィーン・コンツェントゥス・ム     ジクス」を率いて、膨大な録音と多くの名盤を残しました。               ・プレヴィン(1929〜2019) アメリカ    詳しくは「名指揮者列伝」の項で。映画音楽を手がけたり、プロのジャズ・ピアニス     トであったりと多才で、演出性のある音楽を指揮させたら天下一品。数え切れないほ     どの名盤があります。                                 晩年はNHK交響楽団の終身名誉指揮者の1人ともなり、日本で名演を聴かせてくれ     ました。                                      ・カルロス・クライバー(1930〜2004) オーストリア    Uでご紹介したエーリヒ・クライバーの息子で、1970年代のデビュー録音では世     界中を震撼させ、「天才」と称されました。その後も特定のポストに就くことはあり     ませんでしたが、ウィーン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウや、世界の     第1級のオペラ場での演奏で、発売されているほぼすべてのCDが、その作品のベス     トを争う名盤として語り継がれています。                        いつ指揮台に上がるか分からず、またスキャンダルやキャンセルも多く(来日公演も     ありました)、レパートリーはかなり少ないなど、神秘性に満ちていましたので、カ     リスマ視された指揮者でした。詳しくは「名指揮者列伝」の項で。             21世紀になっても、一向に指揮台には立たず、どこにいるのかさえ分からなかった     のですが、突然の訃報に世界中のファンは落胆しました。                ・アバド(1933〜2014) イタリア    カラヤンの後を受け、ベルリン・フィルの第5代目の常任指揮者というポストを手中     にしました。マーラー以外は、特にこれといった名演を残せなかったと言われていま     すが、協奏曲も含めると、大変多くの名盤を残してくれました。              歌心溢れるイタリア出身の指揮者であるアバドには、何でも求められる「サラリーマ     ン指揮者」は性分に合わなかったのでしょうか。                     ガン克服後は、若手を中心とした自ら設立した楽団を指揮して活動していました。     ・デュトワ(1936〜) スイス    詳しくは「名指揮者列伝」の項で。                           現役最高のフランス音楽の指揮者として知られています。また、管弦楽曲においても     相当数の名盤を残しています。                             ヨーロッパで大成功したわけではありませんが、無名に近かったカナダのモントリオ     −ル交響楽団を鍛え上げ、一流のトップオーケストラにまで育てました。          ピアニストのアルゲリッチ、ヴァイオリニストのチョン・キョンファの元夫でもあり     ます。                                      その他にも、20世紀末から21世紀にかけて活躍した世界的指揮者たちをご紹介します。  残念ながら、「名盤」として当サイトで推薦している演奏の少ない指揮者たちです。      ・マゼール(1930〜2014) フランス    音楽界で「天才」という表現はよく使われますが、マゼールこそは天才中の天才。      なにせ8歳の時にニューヨーク・フィルを指揮してデビュー。11歳の時には、かの     トスカニーニに認められてNBC交響楽団を指揮、10代の時にはほぼアメリカの一     流オーケストラを指揮したというのですから、尋常ではありません。            更に、晩年になっても、見開き2ページの楽譜ならば1分半で記憶できたといいます。    ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就いたり、クリップスの後を受けて、今となっては     最後の「ニューイヤー・コンサートの常任指揮者」(毎年指揮します)に就いたりと、    経歴はまことに素晴らしいのですが、ほぼ当確だったベルリン・フィルの音楽監督の     座をアバドに奪われた後は渡米し、ニューヨーク・フィルの音楽監督となりました。     そして、2008年には、アメリカのオケとしては初めて、北朝鮮で演奏を行なった     ことは、歴史的快挙とされています。                         ・メータ(1936〜) インド    アジア人として、最も成功した指揮者の1人です。自身はウィーンの音楽大学で学び     ましたが、23歳でウィーン・フィルを指揮したのは、当時、アジア出身の指揮者と     しては奇跡的なことでした。また、1990年にはアジア人としては初めて(小澤よ     りも10年早いです)、「ニューイヤー・コンサート」の指揮台に立ちました。合計     4回もこの舞台に立ち、ウィーン・フィルとは非常に良好な関係にあります。それだ     け、本場で高い評価を受けているという証でしょう。                   なお、2011年3月には多くの外国人指揮者の公演がキャンセルされる中、NHK     交響楽団を指揮し、震災直後の日本において、チャリティー公演を行いました。      ・小澤征爾(1938〜) 日本(満洲)    詳しくは「名指揮者列伝」の項で。                           メータと共に、最も成功したアジア出身の指揮者の1人です。何せウィーン国立歌劇     場という、世界最高のオペラ劇場の音楽監督のポストに就き、2002年に、メータ     よりは遅れながらも、アジア出身指揮者として「ニューイヤー・コンサート」の指揮     台に立ちました。「出世」という意味では、アジア出身の指揮者で歴代最高の地位に     までのぼりつめました。                               ・ムーティ(1941〜) イタリア    VーAでご紹介したイタリア人指揮者です。特にイタリア出身の作曲家のオペラでは、    ほとんど無名の作曲家の作品まで録音している、貴重な指揮者です。            ウィーン・フィルとかなり良好な関係を築いたほか、ミラノ・スカラ座管弦楽団を手     中にするなど、超一流のオケに恵まれた指揮者です。                   まだまだ活躍が見込める、現役の指揮者の巨匠中の巨匠です。              ・レヴァイン(1943〜) アメリカ    ウィーン・フィルの客演指揮者としても活躍し、録音がたくさん残っていますが、何     といっても40年近く、ニューヨークにあるアメリカ随一の歌劇場であるメトロポリ     タン歌劇場の芸術監督を務めました。                          近年は、2011年だけでも3度手術を受けており、体調が心配されましたが、20     13年以降は指揮活動を再開しています。                                               メニューへ戻る
[.21世紀の名指揮者達〜  21世紀になって、ここ20年間の活躍で、名盤を輩出している指揮者たちをご紹介し   ます。できれば、新進気鋭、若く、今後の活躍が期待できる指揮者達もご紹介したいの   ですが、今後、どのような評価を受けるのかは正直分かりません。すでに何枚かの名盤   の録音がされていたり、世界の重要なポストに就いている指揮者たちをご紹介すること   に留めて、いずれここに追加していこうと思っています。                今後の活躍が期待されるシャイー(1953〜)、ティレーマン(1959〜)、ハー   ディング(1975〜)、及びドゥダメル(1981〜)らは、名盤の数が少ないため   にここでは割愛しました。                              21世紀になってからのクラシック音楽と、20世紀末との違いは、CDを購入する上   では、バロック時代や古典派の時代の作品のCDを購入したい場合、古楽器演奏が名盤   の主流をなしているという点がまず挙げられます。実は、管理人の私も古楽器に慣れる   のにはかなり時間がかかったのですが、時代の流れでしょう。              また、SACDなど、高音質のCDでの鑑賞が当たり前になってきているのも、我々リ   スナーにとってはありがたい傾向にあります。                        ・ゲルギエフ(1953〜) ロシア    名盤の数という点においては、既に「歴代の名指揮者」入りをしたといっても過言     ではありません。ロシアものに限られますが、バレエを始めとして第一級の名盤が     揃っています。現在、全盛期といっても良く、パワフルな指揮ぶり同様、世界で最     も忙しい指揮者の1人のようです。                         ・ラトル(1955〜) イギリス    ベルリン・フィルの音楽監督を務めていました。前任者のアバドが不評だっただけ     にプレッシャーが大きかったと思われますが、まずまずの評価を得ているといった     ところでしょうか。                                 現在は、ロンドン交響楽団の音楽監督を務めています。                    ・パーヴォ・ヤルヴィ(1962〜) エストニア    北欧の音楽を得意としたネーメ・ヤルヴィを父にもちます。ドイツ・カンマー管弦     楽団の主席指揮者として、ベートーヴェンの全交響曲録音を行ない、21世紀の録     音としては非常に高い評価を受けているといえます。                  また、父のように北欧の音楽も得意で、今後の活躍が最も期待されている指揮者の     一人です。                                 




inserted by FC2 system